書店員には本を展示してほしい

投稿者: | 2018年5月3日

すでに現場を退いて久しい老人がこんなことを言うのもなぁ…と思う。
正直なところ、ごめん。
思いはしたけれど、ツイッターで以下のような発言をした。

つまりこんな感じのカレーの棚が話の発端。

仕入れが大事か展示が大事か、いやどっちも大事なんだけどね、みたいな物言いになってしまっているけれど、ちょっと違う。

何をどう組み合わせて、見せる、のかというのが、実は今でも本屋に人間の書店員がいる大切な理由のひとつなんじゃないかと思う。
ある一冊の本をおすすめしたり、ポップを書いたりすることはもちろん仕事の原点ではある。
人間誰だってはじめは何か特定の本なり絵本なり(コミックでも図鑑でもいい)を好きになって、そこから本というものに目覚めていくのだから、ある特定の本が素敵ですよとお勧めすることはすべての原点。
けれど書店員という立場になった時は、むしろその本へ人々をどう誘導するかとか、その本を読んだ人々を次にどこへ(どの別の本や、場合によったら別のジャンルにでも)誘うかとかを、展示という装置全体で行うことこそが書店員の力の示しどころなんじゃないか。

どうしても賞レースとかランキングとかの仕組みに、それだけでは、納得できないのは、そのせいなんだと思う。
あくまでも、それだけでは納得できないだけであって、特定の単品を好きになることが原点ではあるので、そのきっかけとして賞やランキングで特定の本が目立つのは良いことだと思っている。ただ、そこから先こそがプロの領分だという意識をどのくらいの出版関係者がもってくれているのか、勝手に心配しているだけ。

展示はその書店員の本に対する世界観を目に見える形にして示すもので、かなり勇気もいるし、人々に受け入れてもらえて成功するかどうかはたしかに難しい。
難しいけれど、これをものすごく平易に言い直すと「私はこれが大好き。あなたも好きになってね」。
展示というのはつまり、好きの増幅の場。

さてでも実はこれで満足してはまだまだで、単にとある平台あるいは棚の前に立った時に気づいてくれればうれしいという程度の力の入れようでは本気で人々に何かを伝えようとするには不足。その程度では好きの自己満足の範囲にとどまってしまうかもしれない。
「先輩のことが好きだけれど本人に伝えなくてもいい。先輩が好きな自分が今、幸せ」みたいな(どんなたとえだ)。

そもそも人々がその店の入り口を入ったらまず何を目にして、高い確率でどちらの方へ歩き始め、その通り道で何を目にした後、とうとう書店員が勇気をもって作った展示がどのように目に入ってくるのか、という人々の行動に寄りそった冷静な観察に基づく計画性も必要。
こういったことは一般的に小売り業ではわりあいに当たり前のことだけれど、書店でそれがはっきりと意識して実践されているケースは、少ないような気がする。

ああもちろん、もちろん。
書店の商品はすべてが「好き」が最も強い動機になる嗜好品ばかりではなく、かなりの量の、必要だからある(あればいい)ものも売り場に一定の割合を占めていて、好きの増幅の場などという一見すてきな童話で済まされるものでもないのはそのとおり。
今は書店の仕事の、たったひとつの側面について話しただけ。
でも、展示は絶対に必要な仕事であり、取り組み始めると完成という終わりが来ない果てのない仕事でもある。
なによりもそれは「仕事」なんだ、という話。