10月 112014
 

ずっとAndrej Pejićが好きだった。実に不思議で、興味深く、楽しかった。
今年彼が性別適合手術を受けてAndreja Pejicとなったことを知った時、一時的に非常に興味が薄れた。
「そうか、とうとうただの女性になったのか」と思い(ひどい言い草だ)、女性モデルとして見た場合、どちらでもないかのようなAndrej Pejićだった時と同じくらい好きかどうか、微妙な気持ちになった。いや、正直に言えば、それほどでもないような気持ちになった。
そして当然のように気づいた。
私は結局はAndreja Pejicをそういうちょっとふつうではないものへの偏見をもった興味で見ていたのであり、Andreja Pejicを一個の人間として、ひとつの独立した人格として、尊重はしていなかったんだな、と。

これは私にとって、かなり残念な経験だった。
私は自分を比較的偏見が少なく、また、他人を尊重する人間だと思っていた。
でも、Andrej Pejićのことはそういうふうには見ていなかったことが明らかで、このビデオの中で彼女が泣いている姿を見て、私も本当に自分が情けなく、悲しい気持ちになった。
彼女には笑っていてもらいたかった。

そんなことを、何日もかけてぼんやり考え、自分の情けなさを自分に飲み込ませ、受け入れさせようとしていたある日、電車の中でまた別の、でも似たような自分に直面した。

チャードル姿のとても若い女性、多分まだ高校生になるかならないかくらいの女の子が、たまたま乗り込んだ電車の同じ扉口で私と並ぶ形になった。彼女はとても疲れているらしく、少し顔色も悪く、扉の窓ガラスにじっと顔を向け、立ったまま眠りかけるようにしばし目を閉じたりしていた。
彼女は多分なれない環境で疲れていたんじゃないかと思う、肉体的にも、精神的にも。単に疲労しているというより、なんだかちょっと心を閉ざして思いつめているような感じも受けた。

そんな彼女の横顔を見ていた時にふっと、「もし彼女がいま自爆テロをやろうとしていたら、この近距離に立っている自分はまず間違いなく助からないな」などということを思った。そんなことを思った自分にびっくりしたが、びっくりしたあとで、そんなふうに特定の文化圏の人を型にはまった偏見で自分も見てしまうことがある、ということを受け入れるほうがいいな、と思った。
もちろんそういう偏見が良いという意味ではない。そんな偏見はいままでも、これからも、かけらも持ったことがありません、というきれいごとの自分でいるよりもそういうこともあり得る自分を受け入れてしまったほうがいいな、と思ったという意味だ。

おそらくは単に疲れているかわいそうな女の子に過ぎない彼女の隣でそんなことを考えていた事自体がすでに申し訳ないことだけれど、あえて想像を続けてみた。
もし私が今本当にそういうテロに巻き込まれて命を落としたら、たとえば私の妻は、その後一切の偏見をもたずに残りの人生を生き切ることができるだろうか。いや、妻のことは分からないが、逆の立場だったら、おそらく私は怒りと、そして恐怖から完全には逃れることは出来なくなって、頭では分かっていても、そういう服装の人を反射的に避けるようになってしまうのではないだろうか。偏見をもたずに生きるのは理想だけれど、多分、それは実行不可能に近い難題になってしまうのではないだろうか。
そうやって果てしない憎しみと偏見が恐怖に裏打ちされて積み重なっていってしまうんだな、と分かった。

まあ、本当に私がすべきだったことはそんな想像をしながらテロの連鎖の考察をすることではなく、彼女が笑顔になれるような何かをしてあげることだったのは間違いない。
でも、電車の中の見知らぬおじさんがどう彼女を笑顔にできるかは実に難しい問題だ。
難しいけれどそうすべきだったということは分かっていて、そして、やっぱりとてもとても難しい。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
9月 232014
 
moon-stars@2x

電車一本乗り換えればすぐによく知っている場所にたどり着くと信じているが、どうもいくら待っても見知った行き先の電車が来ない。
非常に小さな、路面電車の停留所にもちかいような有り様だけれど、ホームに出る前に改札があり、料金表や切符売り場も狭いながらもちゃんとあるので、やっぱり駅。ホームにはそれなりににぎやかに人々が電車を待っている。明るくてにぎやかで、日差しもたっぷり。
ホームはもちろん片面のみ。線路の向こうには生い茂る樹々しか見えない。でもまあ、明るくて、爽やかではある。
そして、私はああ、なんだかまたやってしまったかな、と夢の中でも思っている。

少し前に、その時は電車ではなくバスだったが、ちょっと乗っていけば神田に着くと信じているが、とうてい「ちょっと乗って行く」程度では都市部になどつきそうもない山間部のバス停でバスを待っている、という迷子の夢を見たのだ。その時もバスを待っている人は10人近くもいて、おしゃべりの声もにぎやかで、やっぱり明るい日差しに照らされていた。
次のバスが近づいてくるのを遠く見やると舗装もない山道にほこりがえんえんと巻き上がっていて「いや、やっぱり神田の近くなんかじゃないな、多分」と悲しい気持ちになるという夢だった。

今回の夢の小さな小さな駅。実は駅長の自宅の一部が駅になっている。駅舎へ入っていく方の小径と駅長の家の庭の方へ行く小径は、ちょっとした小石で縁取られたへんてつもない土の道で、駅舎への入り口の直前でふた手に分かれている。
庭の方へ道なりに回り込みながら進んでみると、急に道の片側が崖と言いたくなるくらい深くさらに下の土地へ落ち込んでいて、駅舎(と駅長の家)が周囲からはかなり高い所にあることが分かる。崖の方から見下ろすと、アスファルト舗装された道やちょっとした市街地が下の方遠くにそれなりに広がっているらしい様子がわかる。ホームにはこれといった荷物も持たない軽装の年配の女性なども幾人もいたので、ここが「この街の駅」なんだろうとは思うが、なぜこんな不便なところにあるのかさっぱり分からない。だれもこの状態に不満は持っていないらしくもあるけれど。
庭木も花もほとんど全く無く、手入れが行き届いていない感じの少し雑草混じりの芝生だけが広がる庭で、これといって見るものもない。広くて、気持ちよく明るいけれど、何もない。
戻ろうとしてふと駅舎の裏にあたる辺りを見ると、壁に接するようにして、とても小さな池がある。周囲を小さな庭石で囲い、これまたごくごく小さな築山風の盛りもご丁寧に池に接して設けてある。興味をひかれて近づいてみると、その小さな池の中に、魚が一匹と小さな水鳥(多分アヒル)が一羽、腹を出して死んで浮かんでいる。それにも、当たり前だが、なんのへだてもなく明るく陽がさし、少なくとも私が立っている位置からでは臭いもせずあくまでも空気は爽やかだ。
「まあ、えてしてこういうところには実はいろいろあったりするものだよな」などと分かったような分からないような納得をしながら駅舎へ戻っていく。「すぐに知っている街に出られると信じていたが、どうやらまた迷ったんじゃないかなぁ」と思い始めながら。

すると駅舎に入ったところで、すぐあとからひとりの青年が「じゃーん!」とえらく派手なデザインのスニーカーを、わざわざ片足を高く挙げて見せつけながら入ってくる。何事かと足から顔へようやく目を移すと、知り合いだと分かる。
夢の中では知り合いということになっているけれど実はある若手芸能人で、現実の私の知り合いでは、全く無い。でも私はなんだかホッとしながら、スニーカーコレクターであるらしい彼と「なに、また買ったの?」などと話し始める。そして、多分どこかのタイミングで彼に、自分が行こうとしている場所へのどう乗り換えていけばいいか聞くことができるだろうな、と思っている。
スニーカーの話を続けていると、地元の小学生らしき集団がランドセルをしょって入ってきて、私にある質問をする。質問の内容は思い出せない。私が「駅長さんに聞きなよ。やさしいから教えてくれるでしょ?」と答えると、集団の中の一人の女の子がにっこりしながら「うんきっと。でもあなた駅長さんに会ったことないでしょ。」と言う。
言われてみれば確かにそうだ。駅長さんがやさしいというの事実らしいが、実は私は一度も本人に会ったことがない。
変な駅だな、とまた、ちょっと思う。

そういう夢だった。
迷子だけれど脱出の可能性がほのかに示されているというのは、これまで一度もなく、ちょっと珍しかった。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
9月 062014
 

remote_desktopふと、同じことに遭遇して頭を悩ませている人もいるのかもしれないと思い出したので、書いてみる。
記事タイトルがもう全てを言いつくしているんだけれど、分からない人にはさっぱり分からないので、以下にもうちょっと詳しく書いておく。

Chrome リモート デスクトップは無償提供されているリモートアクセス機能の中では使いやすくて速いので、必要がある人の中には愛用者もいるのではないかと思う。
ところがある日を境に、接続しようとするとクラッシュするようになった。
相手先を選んでpinを入れ、接続を開始するところまでは進むけれど、

remote_desktop_clash

こういうことになる。

いつからこういうことになったのか? とその当時考えてみて、Chromeが37にバージョンアップした頃だと思いあたった。この時はWindows用の64bit版の提供などいろいろと賑やかな更新だったが、話題のひとつにDirectWriteによるテキストレンダリングの有効化があった。
と、なるとだいたいもう思い当たる。Chromeリモートデスクトップのビューワーの描画機能とそのあたりがぶつかっているな多分、と。
URLバーに chrome://flags/ を入力して試験運用画面を出し、「DirectWrite を無効にする」の項目を使って無効にすれば、問題はあっさり解決する。

それにしても試験運用画面の日本語訳は分かりにくい。
「DirectWrite を無効にする」というのが項目名で、そこに「有効にする」というリンクがある。

disable

ここをクリックするとDirectDrawが有効になるのか? と思わせるけれど、そうじゃない。
「DirectWrite を無効にする」という機能が「有効」になるので、DirectDrawは無効になる。
論理的ではある。
普通は目にすることも触ることもないような所なんだからいいんだが、まあ、ひどいな。

このことで笑ったな、ということがむしろ書きたくてこの記事を書いた。
はいお粗末さまでした。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
8月 312014
 
book@2x

うーん、困ったな。

いろいろそれなりに本を読んでいるけれど、この歳になるまで吉川英治の『宮本武蔵』は読んだことがなかった。
ふと思いついて読んでみた。
なんだかものすごく沢山の人を敵に回しそうだけれど、率直な感想を書いておく。

吉川英治の『宮本武蔵』って、武蔵を始め主要登場人物のほぼ全てがあちこちをうろつきながら若気の至りをしまくるという話なんだな。

これはねぇ(ごめん、このお話が好きな人達は怒らないでね)時代を現代に置き換えて喧嘩上等の悪ガキ達が、それなりに落ちつきかけるまでの話に書き換えても多分全然違和感がない。
又八と朱美が最後の頃子どもを得てよく分からないなりの地に足の着いた暮らしぶりを始めるあたりなんか、まさにそんな感じ。
逆に武蔵がむちゃくちゃ不器用で照れ屋で、結局最後までお通とは一緒にならないというのも、いかにもそういうキャラクターがそれ系の話ではいそうだなぁ、と思う。
あぁそうか、まあ、そういう意味では時代を越える力をもった、ある意味では名作なのか……そうかもしれない。
世間の評判から勝手に想像していたものと全く違ったので、ちょっとびっくりしただけなんだけどね。

著者吉川英治本人が公開後に寄せられた過分な賛辞にいささか戸惑う言葉を残しているが、謙遜などではなく、本音なんじゃないかと思う。
要は、小説としてオモシロイと思ってくれるのは嬉しいけど、人生を左右したとか色々言われてちょっと困惑してますってことを言っているわけだけれど、そりゃそうだよねぇ。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
8月 032014
 

以前はずっと、アール・ヌーヴォーがたいそう好きだった。
どのくらい好きだったかと言うと、かつて書店社員だった頃、毎月の全員のシフト表を作る時に背景にアール・ヌーヴォー風の装飾をわざわざ描き込んでいた時期があった、というくらいに好きだった。
頭を抱えてひそかにため息をついていた社員やアルバイトがさぞ沢山いたことだろう。手元に一枚でも残っていればスキャンして黒い過去を公開し、皆さんにも頭を抱えてもらいたいくらいのものだが、残念ながら、無い。

それ以前から漠然と興味を持ってはいたが、はっきりと意識するようになったのはオーブリー・ビアズリーを知ってからだ。アール・ヌーヴォーには非常に分かりやすくて有名なスターが何人かいて、グラフィック・アートではビアズリーがもちろん代表的な作家のひとりで、わたしも御多分にもれずとりこになったわけだ。

初めてアール・ヌーヴォーという言葉を知ってまもなく、実はそれはArt Nouveと綴るのであり、そのままの意味は面白みも何もないと知った時ちょっと拍子抜けしたものだったが、まあそれはそれとして。
正直なところ、さらに熱心に勉強するほどまでには至らなかったので、単なる「そういうものが好きな人」にとどまっている。

さて、アール・ヌーヴォーにつづいて1920年頃からアール・デコが流行したわけだけれど、長いこと、私はこれらをあまり好きではなかった。
(うーんなんだか変な翻訳文みたいな日本語だが、うまく直せない)。
工業製品がたまに獲得する機能美のようにそれ自体が持っている性質が形として表に現れてきたものではなく、無理矢理付け加えたりかぶせたりした、意味のない単なる飾りに思えたからだろう。
時に「下品」としか言いようのないレベルのものさえあるなぁ、と思っていた。

だいたいのところそんなふうに、アール・ヌーヴォーは「いい」、アール・デコは「いまいち(というか、そっと見ないふりをして通り過ぎる)」と思ってきたのだけれど、最近ふと、アール・ヌーヴォーは「ちょっとくどいよなぁ…」、アール・デコは「スッキリした面白みがあるよね」と思うことが多くなっているのに気づいた。
中南米の都市にいきなりアール・デコ調の建築物があるのを見かけたりすると、ばかばかしいと思いながらも思わず顔がほころんだりする。ああいうのは、けっこういい。

なんなんだろうな、これは。
自分の中で何が変わって、受け止め方が変わったんだろうか。

キッチュな面白みを若くて真面目だった頃より受け入れるようになったとか、ゆるキャラの存在を笑って受け入れるようになったとか、そういうこととも関係しているような気はする。
そんな気はするが、はっきりとは、分からない。
とりあえず、アール・デコ調の自転車とか出てきたら買うかどうか考え始めそうな気はする。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
7月 212014
 

あっさりと言ってしまえば、ちょっとそれは飽きたなぁ、というだけの話でそれ以上ではないです。
なにも「追求」してません。

先日あまりに体調が悪くて何をする気も起きずにぼーっとしていたらテレビで『スター・トレック イントゥ・ダークネス』をやっていたので、ぼーっと見た。
監督のJ・J・エイブラムスが思ったよりずっといい仕事をしていて飽きさせなかったのと、ベネディクト・カンバーバッチの悪役ぶりがとても良かったので思わず最後までちゃんと見た。
スタートレックは、バリバリのSF設定のはずなのに重要なところでは必ず人間同士が生身で殴り合わないといけないお約束になっているとか、普通に考えてもそのシチュエーションでその設定は無理でしょというハードSFの「無理にでも科学的に理屈をつける」手間がかけられていないことが多いとか、正直気に入らないところが多々あるシリーズで、今回もきっちりそれらのことをやってくれてしまっていたが、まあそれでも面白かった。うん。
そして、『イントゥ・ダークネス』に出てくる機械類が(パイプ類がうねり回るのは別として)基本的に皆四角くて動かないデザインだ、というのも、実は密かに良かった。

これも先日偶然見た『マン・オブ・スティール』は正直なところ駄作だと思うけれど、思わず「ああ……」とうめいたのはあのウネウネ動く触手をもったやつら。またか、と。
どうしてもここ10年位、その手のデザインのマシンがどこにでも出てくるなぁと思ってしまう。
厳密に、映画で最初にそのデザインが大きくフューチャーされたのがどの作品なのか調べていないし、そんなことを云々できるほどそもそも私は映画を沢山見ていない。ただ『マトリックス レボリューションズ』でそういうデザインのマシンが印象的だったのは覚えている。あれが2003年頃公開されたはずだから、ここ10年位という印象はそうひどく間違ってはいないかもしれない。
予告編を見たら『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の敵もまったく同じパターンのデザインと動きで、ちょっと脱力した。

金属の塊(あるいはそのように見える何か)なのにウネウネとしなやかに素早く動く、というのが、印象的で面白いのは分かる。タコとかクラゲとかが、好き嫌いを超えて独特の印象深さを持っているのも、分かる。
でもなんかそろそろ違うパターンを考えようよ、とか思う。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
7月 122014
 
moon-stars@2x

新しく店長として着任したというより、おそらく地域マネージャーか何かの立場としてとある店舗のテコ入れに赴いた、という感じだった。
一見、問題ははっきりしていた。
テナントとして入っているビルの諸々の規制が無意味に厳しくて、同じフロアに入っている飲食店なども店頭にメニューの立て看板さえ出せず、活気の演出がまるでできない。理由は分からないが(人が集まりすぎて通路にあふれるのを嫌ったのかもしれないが)書店である当の店舗も入り口から何メートル以内には平台を設置してはいけないというルールのために、よくある「入口付近の新刊平台」とか「催事平台」が全く機能しない。
このあたりですでに、そんなに嫌だったらそもそも小売業をテナントに入れるな、とビルのオーナーに言いたいところだが、規則にはさらに「テナント店舗で働くものは髭、長髪は禁止」などということまで書いてあったりする。べつにどうしても髭や長髪で働かないと困るということはないが、そんなことをビル側が決める必然性がまるでない。

夢の中で私は、真面目だが気弱そうな店長に、どうやって意味不明なテナント規則の改定を求めるか、また、改定が実現しない間、どうやって規制の隙間をかいくぐって小売業としての本来の力を出すか、などというアイディアの数々を語っている。
けれども夢の中でも薄々気づいている。
今は不当な規制で最低限の状態にさえなっていないから、そこさえなんとかすれば今より確実に売上は伸びる。そこまでは実はとても簡単だ。でも、それは書店業というものに対する根本的な施策では全然ない。

経験したから分かるが、ダメな店舗をマシな店舗にするのは実はわりに簡単だ。当たり前のことが当たり前にできるように整えればいいのだから、目標と意志をもって進めばある程度までは必ず実現できる。
でももっと売上を伸ばすとか、まったく新しい客層を開拓するとかということになると、恐ろしいほど難しい。それどころか単に一定水準を毎年維持していくことだけでも、難しい。
改革や立て直しという段階は分かりやすいし派手なので注目されたりもてはやされたりすることもあるけれど、あんなものは大したことはない。そのあとの毎日、毎月、毎年が、ほんとうに大変。

以前に「書店の夢を見た」というのも書いているけれど、そこでもやっぱり、書店経営は難しいという話になっている。そればっかりなのかねぇ、私の書店時代の思い出は。
楽しいことも沢山あったと思うんだけどね。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
7月 052014
 

opera-software-logo先日書いたとおりOperaに乗り換えた
さほど戸惑うこともなく急速に馴染んでいっていて、けっこう快適にすごしているのだけれど、一点だけ、ブックマークバーの件がなんとなくムズムズしたままになっていた。

現実問題としてスピードダイヤルのみではブックマークレットが使えないのでごく一部ブックマークバーを併用しているが、

と言っていたわけだけれど、これも工夫すればブックマークバーなしでやっていけるんじゃないかなぁ、可能なんだったらそうしてみたいよねぇ、と。

私がブックマークバーを残していた理由は上に言っているようにブックマークレットを使いたいからという一点のみだったので、それを何とかすれば必要なくなる。
まず同等機能の拡張機能がある場合はそれに置き換えてしまう。これはOperaのオリジナルの拡張機能だけではなくChromeの拡張機能も探してみればそんなに難しくない。残るのが、ブックマークレットの挙動が一番気に入っていて拡張機能に同等の挙動をするものが無い場合。

そこで、ブックマークレットをそのままChromeの拡張機能に変換してパッケージしてくれるサイトを使うことにした。
Convert bookmarklet to Chrome extension
作るところまではとても簡単。サイトの説明が簡にして要を得ている。
ちなみに作者のPeter Legierskiさんの笑顔がとてもキュートなので載せておく。thank you, Peter!
peter-legierski

Instructions(説明書)
1. Type name, description and drag bookmarklet into form above.
(上記のフォームに名前、説明を入力しブックマークレットをドラッグします)
2. Click “Generate extension” to download zipped extension.
(zip圧縮された拡張をダウンロードするために「Generate extension」をクリックします)
3. Unzip downloaded file.
(ダウンロードしたファイルを解凍します)
4. Go to extensions settings: Menu > Tools > Extensions
(メニュー > ツール > 拡張 と辿って拡張設定に行きます)
5. Tick “Developer mode” (top right).
(開発者モード(右上)をカチッとやります)
6. Click “Load unpacked extension…” and select unzipped folder.
(「パッケージ化されていない拡張を読み込む」をクリックして解凍したフォルダを選びます)
7. Job done! Your new extension is loaded (the black dot).
(完了です!あなたの新しい拡張がロードされます(黒いドットのアイコンで))

8.(Optional) Follow me on Twitter: @PeterLegierski
(よかったら私をツイッターでフォローしてね)

もちろんこれはChromeのための説明なので、4以降はOperaのものとして読み替える必要はあるが、そもそもブラウザエンジンがほぼ同一なので、拡張機能のページを開けばあとはほとんど変わらない。
さて、ここからがひと工夫。

注意:二つ目以降はフォルダー名を適宜変更すること。
ダウンロードされてくるzipファイルの名前は常に同一なので、ブックマークレットをひとつだけしか拡張機能に変換しないのであれば問題ないけれど、二つ目以降もやろうとすると、うっかりすると前に登録した拡張の内容をあとからのもので上書き更新してしまうということになったりする。自分では二つ目の拡張機能を登録したつもりなのに一つ目の拡張機能があとから登録したものに置き換わっていて「???」というはめになりかねない。

工夫:アイコン画像をあらかじめ変更しておくと分かりやすい。
次に見た目の区別の話。
7. Job done! Your new extension is loaded (the black dot).
(完了です!あなたの新しい拡張がロードされます(黒いドットのアイコンで))
icon-48となっているように、初期設定で(某コミックを思い出す人もいそうな)真っ黒い球形のアイコンがついてくる。マウスオーバーすればツールチップが表示されるけれど、二つも三つもこれが並ぶとさすがに分かりにくくて使いにくい。
そこで実際に登録作業に入る前に解凍したフォルダの中のアイコンを自分の好きなものに置き換えておくといい。フォルダの中に入っているpngファイルが拡張機能のアイコンなので、ファイル名は変えずに、それぞれのサイズのpng画像を作って置き換えてしまう。(対象サイトのアイコンなどを貰ってきて加工したりすればいいと思う)。これで「えーと、どれがどれ?」と混乱しなくなる。

注意:あらかじめ決めた場所に移動してからインストールし、もうそこから動かさない。
最後にわりと重要な注意を書いておく。
実は、このブックマークレットを拡張機能に変換するというやり方全体は「開発中の拡張機能をテストするためにパッケージ化されていないものを仮に登録して試す」ことだ。だからこそ「開発者モード」のスイッチを入れて作業しろ、と指示されるわけだ。
従って、その「テスト中の拡張機能」はどこか個人のPCの中の特定のフォルダーにあるもの、と想定されていて(拡張機能サイトに公開していないんだから当然だ)、インストールしたあとでそれを移動したり削除したりするとエラーになって動かなくなる。
自宅と会社など別々の場所のブラウザに同じことをしたい場合には初めからDropboxの特定のフォルダに配置してしまってどこからでもその場所を使うようにさせるのが一番楽だと思う。

さてこれで、無事ブックマークレットを拡張機能として運用することが出来るようになったので、Operaでブックマークバーを表示させておく必要がなくなり、スッキリする。
(そして「スピードダイヤルだけでいけるよ。みんなブックマークなんて使ってないじゃん(にこッ!)」というかなり強引な新しいOperaの当初の方針に、無理矢理合わせることもできる)。

……小ネタなのに、丁寧に書いたらずいぶん長くなった。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
6月 282014
 
pencil@2x

TwitterやFacebookではちょっと触れましたが、近づいてきましたのであらためて正式にお知らせします。

書店営業の基本セミナー
日程:2014/07/16(水)
時間:時間:13:30~17:30 (13:00より受付開始)
会場:会場:トーハン本社 (東京都 新宿区東五軒町)

書店営業の担当者で経験の浅い方(数ヶ月~1年間程度)、あるいは他部署から異動されて日の浅い方、内勤の担当者で書店営業の実際を学びたい方、などが主に対象のセミナーです。
営業を指導する立場の方が、初心にかえり、伝えるべきことを整理し直すお手伝いにもなるかもしれません。

実習に多めに時間を割きますが、パターンやテクニックを一方的にお教えするという形ではありません。「ずばりこうすれば注文が取れます」というような、耳に快い嘘もお教えしません。
なぜそのように行動したほうが良いのか、説明し、実践で試し、実践の体験に基づいて納得してもらいたいと思ってやっています。
基本・基礎をあらためて振り返り、結果としてそれぞれの方の個性にあった応用を生み出していただくための、お手伝いです。

ご参加お待ちしています。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア
6月 212014
 
moon-stars@2x

梅雨に入って気温と湿気の激しさにやられてまたまた体調を落としているさなか、お約束の「迷子の夢」を見た。
体調が悪くなったり、人生に行き詰まったりするとそういう夢を見がち、ということは以前書いたことがあるが、正直なところ最近は(いちいちブログに書かないが)けっこう日常的に見ているような気がする。じゃあずっと体調悪いままだったり、人生行き詰まったままだったりするのかと言われると……自信を持ってきっぱり否定出来ないような気がするところが困る。

それはさておき今回は、東京のとある街角をうろうろと歩いていて、角をひとつ回った途端にまだ頂上にうっすら雪をかぶったままのよく知っているような気がする山の姿を正面に見て「あ、北海道に来てしまった」と気づく。一歩踏み出したとたんに瞬間移動しているという、斬新というか、手抜きというか……まあ、手抜きなんじゃないかと思う。
昔から数えきれないくらい見てきた迷子の夢は、基本的には、延々とうろうろしている間にだんだん骨に染みこむように「ああ、また迷子になったな」という虚しい哀しさがしみてくる。そこを一気に省略して瞬間移動させて「はい、迷子」というのはなぁ。ウィザードリィのトラップじゃないんだから。

角を回った途端に瞬間移動しているのだから、一歩後ろに下がれば良さそうなものだが多分はそうはいかないだろうなぁ、とぼんやり、うんざりしながら足をとめているところで目が覚めた。
まあ、これは分かる。
ひどい方向音痴の人間にとっては曲がり角というのは、一度曲がったら二度とちゃんと元の所へ戻れる保証がなくなる極めて危険な存在で、「元通りに逆行すれば戻れる」という論理がなぜか無効になる。
時間的な経過の中で行なってしまったことの多くは時間を遡ることはできないのでもとに戻すことが出来ない(覆水盆に返らず)。一方、間違った角を曲がったということ自体は(その間に失われた無駄な時間や、そのために遅刻が確定的になって先方に詫びを入れなければならないということなどは取り消せないが)きちんと逆行することでリセットできる。出来るはずなんだが、なぜかひどい方向音痴の人間にとってはまるで決して逆行できない時間経過と強引に絡み合ってしまうかのように「さっきまでは正しかったはずの物理的ポイント」にも戻ることが出来ない呪いがかかってしまう。

いろいろ、大変である。

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on TumblrShare on Google+Buffer this pageでシェア